近畿中央部において聞かれる比較的新しい言い方についてまとめてみました。
近畿ではもともと動詞の否定過去は「なんだ」という助動詞をつけることによって言い表していました。しかし最近では否定形「ん(ぬ)」または「へん」の後ろに、形容詞語尾「かった」をつけた「んかった・へんかった」という助動詞が勢力を拡大しつづけています。
特に「へんかった」のほうは、上の世代まで浸透しているようです。
否定の助動詞「ん」や「へん」に形容詞語尾をつけるという語法は拡張され、平成生まれの世代からは、否定の助動詞「ん」や「へん」の後ろに、形容詞の連用形語尾「く」をつけた「~んくなる」のような言い方が聞かれることもあります。形容詞の連用形にウ音便を使わない・使えない人ほどこの言い方を受け入れやすいようです。
これらは「新方言」と呼ばれるものの代表格で、京阪地方本来の言い方と東京の言い方とを混ぜ合わせたものです(もっとも、「~んくなる」という言い方のほうは、否定の助動詞「ん(ぬ)」と「ない」の接触地帯である東海方面から近畿地方へ西進してきたものかもしれません。個人的に「~んくなる」という言い方を最初に聞いたのは岐阜の方からでした)。
このような言い方が広まりつつあるのは、一定の世代以下の間には、「共通語(東京語)をそのまま使うのは抵抗があるけれども、一方で東京語から著しく離れた言い方もしたくない」というねじれた思いがあり、そのような人々にとってはこのような混合弁が、うまく心にフィットするのかもしれません。
「赤い」「高い」のように、語幹がアの段で終わる形容詞に「ない」や「なる」が付いた形を、「高なる(タカナル)」「高ない(タカナイ)」のように言うこともあります。これも新方言の代表格で、おそらく次のような発想に基づいて新たに生み出されたものです。
「美しい」のように語幹がイで終わる形容詞の連用形+「ない・なる」は、「美しゅう(ウツクシュー)なる」のように言うのが本来だが、話し言葉ではしばしば「ユ→イ直音化」と母音短縮とを同時に起こして「美しなる」とも言う。これは「美しい」から活用語尾「い」を取り除いたのと結果的に同じ形である。
「薄い」のように語幹がウで終わる形容詞の連用形+「ない・なる」は、「薄う(ウスー)なる」のように言うのが本来だが、話し言葉ではしばしば母音短縮を起こして「うすなる」とも言う。これは「薄い」から活用語尾「い」を取り除いたのと同じ形である。
語幹がエで終わる形容詞は現代語にはない。
「遅い」のように語幹がオで終わる形容詞の連用形+「ない・なる」は、「遅う(オソー)なる」のように言うのが本来だが、話し言葉ではしばしば母音短縮を起こして「おそなる」とも言う。これもやはり「遅い」から活用語尾「い」を取り除いたのと同じ形である。
以上の事実を踏まえると、語幹がアで終わる形容詞以外はすべて「美しなる」「薄なる」「遅ない」のように、語幹に直接「~なる」「~ない」がついているようにも見える。それならば語幹がアで終わる形容詞も、「高なる(タカナル)」のように言えるのではないか――という誤解が発生した。
このような言い方は、動詞に助動詞「たい」がついた形でも聞かれます(しとうなる→したなる)。
※補註:兵庫県北部から山陰地方にかけて、「高うて(タコーテ)」のことを「高あて(タカーテ)」のように言う地域がありますが、これは新方言とは関係なくこの地域の伝統方言です。
この言い方は昔、「高くて」が「たかくて [takakute] → たかうて [takaute] → たこーて [takɔ:te]」と変化した後、京阪地方では「たこーて [tako:te]」に落ち着いたのに対して、先述の地域では「たかーて [takɑ:te]」に落ち着いたことに由来します。
同様の現象は「アウ」という母音の並びを含む語すべてに起こったため、先述の地域では「書こう(書かうに由来)」のことも「書かあ」のように言います(参照⇒『方言文法全国地図』第3集・第109図)。
兵庫県北部の但馬方言の詳細については、当サイトからもリンクしている谷口さんの「但馬方言のページ」をご覧ください。
大阪言葉に由来する「ねん」に助詞「か」を続けた「~するねんか」なる言い方が、2000年代後半頃よりぽつぽつ耳にするようになりました。「ねん」は「のや」の転ですので、この表現を原形に戻せば「~するのやか」となり、明らかにおかしいのですが、にもかかわらず「~ねんか」なる表現がまかり通っているということは「ねん」=「のや」であることが忘れられつつあるのかもしれません。
同様に「やん」も「~やないか(~じゃないか)?」の短縮形であることが忘れられつつあるのか、「嘘や・嘘やろ?」の意味で「嘘やん」と言うような、「やん」を単にニュアンスを添えるだけの終助詞的に使っていると思しき例を耳にすることがあります。
東京語を部分的に置き換え、それを関西風のアクセントで読み上げただけのような言い方をするケースがしばしば見られます。たとえば、
京都の元々の言い方では助動詞の「や」は語頭に立たず、必ず「そ(そうの短縮形)」が「や」の前に来て「そやけど」のように言います。また2つ目の文において、「言う」と「なんて」との間に助動詞「や」が現れるところなどは完全に東京語「だ」の直訳で、かつての京都では聞かれなかった言い方です。
さらには「順接の『から』」「言って」「~ちゃって」「いい」などはどれも東京語そのままです。
残念ながら京都の口語は「京都内部で変化を繰り返しながら親から子へ継承されてきた話し方」から、このような「東京語を部分的に置き換えたもの、単なる東京語の訛り」に置き換えられつつあるかのようです。
古くは「テレビ」「ラジオ」、最近では「マクド」など、3拍の新語が生まれると○●○型に発音される傾向が京阪地方にはあるのですが、これが勢い余って既存の言葉まで○●○型に発音される例が見られます。
(例) | 本 来 | 行き過ぎ |
---|---|---|
たぬき | ●○○ | ○●○ |
朝日 | ●○○ | ○●○ |
あたま | ●○○(←●●○) | ○●○ |
なすび | ●○○ | ○●○ |
ちなみに上の例のうち「あたま」以外の語は、東京でも●○○と発音されます。そのためもしかすると「京都のアクセントと東京のアクセントとが同じであるはずがない」という思い込みが、このような新しいアクセントを作り出す原因となっているのかもしれません。
この「2拍目だけを高く発音する」というアクセントは4拍語以上でも聞かれます。
(例) | 本 来 | 行き過ぎ | 補 註 |
---|---|---|---|
水色 | ●●●● | ○●○○ | 下の世代(90年代生まれ以降?)で聞かれる。本来「~色」はH0かL0が原則(黄色;●●●・青色;○○○●など)。 |
さらには形容詞「良い・ない」の過去形「よかった・なかった」を○●○○型に発音する人も見られます。これはおそらく、「『良い・ない』は○●型なのだから、その過去形も低起式で発音されるのが正しいのではないか」という誤った類推が働いているのであろうと思われます。
しかし実際は「よかった」「なかった」など(の前身に当たる表現)は、院政期頃まで◑○○○型で発音されていて、それが鎌倉時代頃に●○○○型に変化して今日まで受け継がれてきたものです。従いまして「よかった」「なかった」などは●○○○型に発音するほうが本当は伝統的です。
アクセントについても東京のアクセントをそのまま持ってきたと思われるケースがあります。
代表的なのは「カラス」です。この語は京都アクセントは平安期以降ずっとL0型(江戸中期までは○●●型、それ以後は○○●型)に発音されてきましたが、現代の京阪地方では東京アクセントの●○○をそのまま使う人もいます。
また特に4拍の地名において、本来●○○○(H1)型のものを、東京アクセントと同じ○●○○(L2)型に発音する例もしばしば聞かれます。たとえば「松原・深草・長岡・高槻」などは●○○○が京都本来の音調ですが、東京アクセントの影響を受けて○●○○型に発音する話者も見られます。
このような地名の音調変化に関しては、バスや電車の車内アナウンスが共通語風の喋りで行われていることも影響しているのかもしれません。
「ない→ねえ [nai→neː]」「すごい→すげえ [sugoi→sugeː]」など、アイ・オイという母音の連続が長いエーに変化する現象は、近畿では見られぬものでした。しかしここ最近はこういう言い方に抵抗がない人が増えているようです。