2-4. え (e)・エ (je) 区分表・漢字音篇の解説ウェブフォント版・通常版←

目次

区分の対象と作業手順

 本表で分類の対象とせられているのは、『学研漢和大字典(以下単に「大字典」)』の巻末目次において、以下の見出し項目下に置かれている漢字のうち、その歴史的仮名遣いに「エ」が含まれる漢字すべてです。

 近年、大字典には大幅な増訂の行われた新版(『学研漢和大字典』と改題。普及版机上版の2種類あり)が出ましたが、今回使用したのは『新』の付かないほうです。奥付には「1978年4月1日 初版発行・1993年3月10日 第31刷発行」とあります。

 大字典の巻末目次では現行の仮名遣いに基づいて漢字が配置されていますので、目次のページを見ただけではそれが「エ」に由来する字か「ヱ」に由来する字かまでは分かりません。加えて最後の「ヨウ」に至っては、「ヤウに由来するもの」や「元からヨウであったもの」等も混じっています。
 そこで表の基となるデータを作るにあたっては、次のような流れで作業を行いました。

  1. 上記の見出し項目下にある漢字すべてを、掲載ページ情報と一緒にテキストファイルに入力(データ1)。
  2. データ1の漢字を掲載ページ順に並べ替える(データ2)。
  3. データ2の漢字を順番に大字典で引いてゆき、『廣韻における韻と声調』『中国に於ける発音の推移』『呉音・漢音の歴史的仮名遣い』の情報を書き足してゆく(データ3)。
  4. 歴史的仮名遣い表記にエ・ヱが含まれる漢字をデータ3から抜き出す(データ4)。
  5. 中古期の推定音が声調以外同じである漢字同士をまとめる(データ5)。
  6. データ5から、歴史的仮名遣いにエが含まれるグループだけを抜き出す(データ6)。
  7. データ6を元に /e/ /je/ の分布を考察し、データ5の「エ」表記を「え /e/」「エ /je/」とに振り分ける(データ7)。

 最後のデータ7が本表の基底データです。
 次節では、データ6を元に行った考察の中身について説明いたします。

え・エ・ヱ分布考

 今回は漢字音を構成する要素のうちの「声母(頭子音)」と「介母(半母音)」とに着目して、10世紀以前の字音表記における /e/ /je/ の分布状況を考えてみました *1

 まず声母に関して言いますと、データ6に登場する漢字に現れるのは次の3種類のみです。

 そして介母には「i介音」「ɪ介音」「u介音」の3種類が存在します。このうち最初の2つは拗音(ヤ行)要素で、最後の1つは合音(ワ行)要素です。一つの漢字の中に拗音要素同士が同居することはありませんが、拗音要素と合音要素とが同居することはあります。これを表にまとめたのが下です(表1)。

表1 介母一覧
拗介音\開合 開(u介音なし) 合(u介音あり)
なし - [u]
重紐乙類 [ɪ] [ɪ] [ɪu]
重紐甲類 [i] [i] [iu]

 ご覧のように、まず「i介音あり」「ɪ介音あり」「どちらもなし=直音」という3つの場合が存在し、その上でそれぞれに「u介音」を伴う場合(合)と伴わぬ場合(開)とが存在します。従いまして介母の現れ方には3×2=6通りあります。

 以上から単純計算しますと、声母3種類×介母6様=合計18通りの組み合わせを見てゆくことになりそうですが、声母のうち于母と喩母はそれぞれ ɪ介音と i介音の前でしか現れませんので、実存する組み合わせは以下の表で○を付けた10通りのみです(表2)。

表2
拗介音\声母 喩母 [j]
(喩4)
于母 [0]
(喩3)
影母 [ʔ]
なし × ×
[ɪ̯]
[i̯] ×

 データ5を参考に、「大字典はどのような声母・介母の組み合わせの時にエと表記し、どのような時にヱと表記しているのか」を確認したのが表3です。見出しの「呉」は「呉音」、「漢」は「漢音」のそれぞれ略です。

表3
拗介音 喩母 [j]
(喩4)
于母 [0]
(喩3)
影母 [ʔ]
なし × ×
[ɪ̯]
[i̯] ×

 エとヱは字が似ているため少し見づらいのですが、表3からは「呉音・漢音とも、i介音が含まれる字(つまり最下段)は開合問わずエ。それ以外の場合は開ならエ、合ならヱ」という原則が読み取れます。

 本区分表の目的は、大字典の「エ」表記を /e/ ←→ /je/ に振り分けることですので、大字典で「ヱ」と表記されているものについては、基本的には何もせず本表にもそのまま「ヱ」として載せてあります。ただ考察の過程で一点だけ、大字典の漢音表記に不審な点が見つかりましたため、漢音に限り、大字典で「ヱ」と表記されているものが本区分表では「エ」に改められている場合があります。この件の詳細は次項で説明いたします。

漢音

 漢音の場合は幸いにも、沼本克明氏による詳細なアヤワ行の分布調査(沼本1982a)が既に存在しますので、今回はそちらを論拠として利用させていただきました。
 表4がその沼本(1982a) を参考に作成した漢音の E, YE, WE 分布表です。

表4 漢音のE, YE, WE分布表
拗介音\声母 喩母 [j]
(喩4)
于母 [0]
(喩3)
影母 [ʔ]
なし × × *1
[ɪ̯] YE WE YE WE
[i̯] YE YE × YE YE

 表3と表4とを見比べますと、表4で*1の付いた欄だけは一致していないことが分かります。表3では「開がエ、合がヱ」であったのに対し、表4では「E, YE, WE いずれも現れず」となっています。
 表3でこの欄に該当するとされていた漢字はすべて、「四等専属韻(仮四等)」と呼ばれる韻に属するものです。この四等専属韻というのは、切韻体系では直音であったものの、唐代後期の長安方言ではi介音を伴うようになっていて、いわゆる拗音化していたとされています。沼本(1982a) はこの変化を反映した漢音資料から結論を帰納したのに対し、大字典はどうも直音と想定して漢音の歴史的仮名遣いを演繹したらしく、上のごとき相違が生じてしまったようです(表5)。

表5 韻図の等位との対応関係
拗介音\資料 大字典 沼本(1982a)
なし 一等・二等・四等専属 一等・二等
[ɪ̯] 三等専属・三四等両属乙類
[i̯] 三四等両属甲類 三四等両属甲類・四等専属

 具体例を挙げましょう。大字典で「淵(四等専・合)」という字を引くと、中古音は [·uen]、歴史的仮名遣いは呉音・漢音とも「ヱン」と表記されています。しかし沼本(1982a) には、この字を「エン」と書き表した実例が複数載っています *2。これは漢音の基となった長安方言では、「淵」の発音が実際には三四等両属韻甲類と同じ [·iuen] になっていたため、漢音表記としても同類相当の「エン」になっているものと考えられます。

 今回の目的は /e/ ←→ /je/ の区分ですので、/e/ or /je/ ←→ /we/ の区分にまで考察対象を広げることには躊躇いもありました。しかしながらこの「四等専属韻は直音か拗音か」という問題は、「開」の字について考える場合、そのまま /e/ か /je/ かという問題に直結してきますので、無視することも出来ません。

 選択肢としては、1) 大字典の考えに則って漢音でも四等専属韻は直音であったと決めてしまうか、2) 四等専属韻は拗音であったと認め、必要なら大字典の表記を改めるか、3) 「ヱン→エン」のように書くか、の三つです。

 現時点で私の下には、漢音の基になった体系で四等専属韻が拗音であったと考える根拠(沼本1982a)はあっても、直音であったと考える根拠が存在しませんので、今回は 2) を選びました。
 かくして影母・四等専属韻の字だけは、大字典の「ヱ」という漢音表記が本区分表では「エ」に改められています。これが先述しました大字典の表記を改めた唯一の例です *3

 以上を踏まえ、表3に表4を反映させたのが表6です。表中、「呉」は呉音、「漢」は漢音の略で、「YE」「WE」と表記されている欄は振分が済んだ箇所です。

表6
拗介音 喩母 [j]
(喩4)
于母 [0]
(喩3)
影母 [ʔ]
なし × × *1 *2
[ɪ̯] YE WE YE WE
[i̯] YE YE × YE YE

 漢音については以上です。次は呉音について考えてゆきます。

呉音(和音)

 呉音はしばしば漢音と対をなすものとして位置づけられますが、その実体は漢音ほど体系的ではなく、漢音に先立って本邦に入ってきた漢字音の総称とも言うべき一面があるようです。沼本(1986:11-13) によりますと、呉音の主層は切韻体系よりやや前の状態を反映しているよう、とのことですので、先に漢音のところで問題となった四等専属韻の拗音化の件は、呉音の仮名表記には絡んでこないと考えて良さそうです。そこで呉音の場合、大字典で「ヱ」とあれば、本表でもそのまま「ヱ」としました。即ち表6で「ヱ」となっていた欄は WE で確定です。

 残るは表6で「エ」となっていた欄ですが、呉音には難しい問題が多いので、ここからは一つ一つ考えてゆくことにします。
 あいにく手元にあまり /e/ /je/ 混同前の字音資料がないため、今回は呉音と縁が深いとされる万葉仮名(ただしいわゆる日本書紀α群のものは除く)も適宜参考にいたしました。なお以下の文中、漢字の横に添えてある [] 内の記号は、大字典本篇で示されているその字の中古期における推定発音です。一見IPA記号のようですが完全に同じではありませんのでご注意くださいませ。

影母・拗介音なし・開

 ヤ行要素となりそうなものも、ワ行要素となりそうなものもありませんので、呉音としてはア行になりそうです。
 この類に属する字のうち、「愛 [·əi]」「哀 [·əi]」「埃 [·əi]」は、ア行のえを表す万葉仮名として使われていました。さらに橋本(1970:200-204) では、この類に属する「娃 [·ăi]」が、先行するエ段音の引きを表すための仮名として使われたらしき例が指摘されています。

 また築島(1969:413) には、「宴 [·en]」に「依尓反 /en/」と振った『日本靈異記(興福寺本)』の例が載っています。

 以上から、本類に属する字はア行のえとなるのが原則であったと判断しました。

影母・ɪ介音・開

 この類に属する「衣 [·ɪəi]」と「依(中古音同じ)」は、ア行のえを表す仮名として使われていました。
 また本類と母音のところだけが異なる字を大字典から探し、その呉音を見てみますと、

  • 央 [·ɪaŋ] 呉音 アウ
  • 応 [·ɪəŋ] 呉音 オウ

 このようにア行となっています。上の「央」はその後発音がアウ→オーと変化したものの、下の「応」共々今なおア行で発音されているのはご存じの通りです。どうやらɪ介音は呉音の発音に何ら影響を及ぼさなかったらしいことが分かります。
 以上を踏まえ、本類に属する字はア行のえとなるのが原則であったと判断しました。

影母・i介音・開

 i介音を含むことからヤ行のエであったと考えられそうです。この類に属する「要 [·iɛu]」がヤ行のエを表す万葉仮名として多用されていたことも、ヤ行説の論拠と出来そうです。

 しかし一方で反証もあります。『西大寺本金光明最勝王経』には、この類に属する「厭 [iɛm]」を「依ム /em/」と読ませている例が見られます(春日1985:58)。
 また上の万葉仮名の件にしても、「要」の用例は『万葉集』に集中していて、『古言衣延辨證補』を見る限り、万葉集以外での使用例は『延喜六年日本紀竟宴和歌』に見られる一例だけです。さらに言えば、ヤ行のエを表す万葉仮名として使われた字のうち、本類に属するのはこの「要」が唯一のもので、他は喩母の字ばかりというのも気になる点です。

 こうした事実を併せて考えますに、本類の字は喩母に比べるとアヤ行の別がやや不明瞭で、当時の日本人にとっては「どちらかと言えばヤ行」程度であったのかもしれません。
『西大寺本金光明最勝王経』の「依ム」表記は依然悩ましいのですが、今は万葉仮名としての用例の多さのほうを重視し、ヤ行のエが原則であったのではないかと考えることにしました。

影母・i介音・合

 i介音はヤ行要素、u介音はワ行要素ですので、ヤワ行どちらかになりそうです。そう考えますと大字典の「エ」表記は、/e/ ではなく /je/ のほうを念頭に置いたものである可能性が高そうです。

 この類に属する字は少なく、大字典に載っている字の中でも「影母・i介音あり・合・呉音表記に『エ』が含まれるもの」という条件を満たすのは、「娟(別音あり)・悁・蜎(別音あり)」の3文字しかありません。手元の資料にこれらの /e/ /je/ 混同前の表記例は見付からず、また万葉仮名の中にも本類に属する字は見当たりません。
 証拠も反証もありませんので今は最初に述べた推測に基づき、ひとまずヤ行のエとなるのが原則であったのではないかと考えておくことにしました。

于母・ɪ介音・開

 于母(または喩三)+ɪ介音という組み合わせからなる類です。于母は大字典の巻末解説では [ɥɪ-] と表記されていますが、本文中では [ɦɪ-] と表記されています。今回は本文側の表記に合わせました。
 于母は大字典本文の発音表記が示す通り、元々はɪ介音の前における匣母 [ɦ] の条件異音で、最終的には喩母に統合してしまったとされています。ただ切韻体系に基づく反切では、于母は喩母とも匣母とも区別されていますので、呉音においても喩母や匣母とは異なる特徴を示す可能性があります。

 この類の母音違いに当たる字を大字典から探してみますと、次のようなものが見つかります。

  • 尤 [ɦɪəu] 呉音 ウ・漢音 イウ
  • 右 [ɦɪəu] 呉音 ウ・漢音 イウ

 本当は先に影母+ɪ介音のところで見たような、/e/ 系統の母音と縁の深い /a/ 系統の母音が主母音となるもの、つまり中古期に [ɦɪa-] と発音されていたと推測される字の呉音表記を参考にするのがもっとも好ましいのでしょうが、残念ながら該当するような字は存在しないようです。
 ただ本類の「合」にならそのような字が存在し、大字典にも次のような例が見つかります。

  • 王 [ɦɪuaŋ] 呉音 ワウ・漢音 ワウ
  • 往 [ɦɪuaŋ] 呉音 ワウ・漢音 ワウ

 こうして見ますと、ɪ介音のみならず于母も呉音の発音にはまったく影響を及ぼさなかったかのようです。となると本類も「影母+ɪ介音」の組み合わせに準じてア行のえであったと考えたくなるところです。
 ところが沼本(1986:119) には、本類に属する字の一つである「炎(塩韻・大字典の推定中古音 [ɦɪɛm])」が、『地蔵十輪経』にて「延ム /jem/」と振られている例が載っています。困ったことに手元の資料には、本類に属する字の /e/ /je/ 混同前の表記例がこれしかありません。
 かくして唯一知る実例に基づくのか、それとも演繹を重視して唯一の実例を例外扱いしてしまうのかという選択を迫られることになってしまいました。

 この類に属する字は絶対数が少なく、大字典に載っている字の中でも「于母・ɪ介音あり・開・呉音表記に『エ』が含まれるもの」という条件を満たすのは、「曄・炎・焉(影母でもあり)・燁・饁」の5文字しかありません。となれば、後に別の用例が見つかり、考えを改めることがあったとしても、それほど大々的な表の修正が必要になることもなさそうです。
 そこで今は『地蔵十輪経』の用例に基づいて、この類の呉音はヤ行のエが原則であったと考えることにしました。

喩母・i介音・開

 喩母かつi介音ありで開となれば、ヤ行のエで良さそうです。
 この類は用例に恵まれています。まず以下の字は、ヤ行のエを表す万葉仮名として使われていました。

  • 延 [yiɛn]・曳 [yiɛi]・裔 [yiɛi]・遙 [yiɛu]

 さらに『西大寺本金光明最勝王経』に次のような表記例があります(春日1985:58)。

  • 揺 [yiɛu]: エウ /jeu/
  • 曜 [yiɛu]: エウ /jeu/
  • 燄: エム /jem/(※大字典にはない字。『廣韻』によると「琰・剡 [yiɛm]」等と同音)

 また『地蔵十輪経』には次のような例があります(沼本1986:119)。

  • 焰 [yiɛm]: 延ム /jem/
  • 剡 [yiɛm]: ヱム /wem/

 この2字は声調が異なるだけで発音そのものは同じであったはずなのですが、「剡」のほうはなぜか合でもないのにワ行表記されているという変わった例です。

 最後のヱム表記が意味するところは今後の課題として残りますが、総合的に見れば、類としての原則はヤ行のエであったと見て良いのではないかと判断しました。

喩母・i介音・合

 喩母とi介音はヤ行要素、u介音はワ行要素ですので、ヤワ行どちらかになりそうです。そう考えますと大字典の「エ」表記は、/e/ ではなく /je/ のほうを念頭に置いたものである可能性が高そうです。
 この類に属する「叡 [yiuɛi]」という字は、ヤ行のエを表す万葉仮名として広く使われていました。また春日(1985:58) にも、『西大寺本金光明最勝王経』で「叡」に「エイ /jei/」と振られている例が紹介されています。

 以上から、本類に属する字はヤ行のエとなるのが原則であったと推測しました。

 呉音については以上です。
 ここまで見てきたことをまとめたのが表7です。この度の区分表は、この表7に基づいて E, YE, WE の分類がせられています。

表7 E・YE・WE分布表最終版
拗介音\声母 喩母 [j]
(喩4)
于母 [0]
(喩3)
影母 [ʔ]
なし(一等・二等・四等専の呉) × × E*1 WE*2
[ɪ̯](三等専・三四等両乙) YE WE EYE WE
[i̯](三四等両甲・四等専の漢) YE YE × YE YE

 呉音は演繹に頼った部分が少なくなく、特に「于母・ɪ介音・開」の欄は引き続き検証が求められると考えます。

 沼本(1982a) が収載されている本には、「観智院本類聚名義抄『和音』を通して見た呉音の特質」という題のご研究(沼本1982b)も収められているのですが、こちらで沼本氏が帰納された表(沼本1982b:553)と上の表7とを比較してみますと、やはり「于母・ɪ介音・開」の欄だけ異なります。この欄に該当する字は、漢音としては /je/ で差し支えないので、あるいは『地蔵十輪経』の例は漢音であった可能性も疑ってみねばならぬのかもしれません。

慣用音他

 最後に大字典に載っている字のうち、呉音・漢音以外の音として「エ」が出てくる字について考察を行い、この頁の締めくくりといたします。

「幼(幼韻・推定中古音 [·ieu])」呉音イウ/漢音イウ/慣用音エウ

 慣用音「エウ」は、似た字である「拗(呉音エウ/漢音アウ・推定中古音 [·ău])」の呉音が紛れ込んだものである可能性が考えられます。
 この推測に基づくなら、「幼」の慣用音「エウ」は呉音系で、「拗」のそれに倣って「えウ /eu/」と表記されるべきものということになります。

「熒(青韻・推定中古音 [ɦueŋ])」呉音ギャウ・漢音クヱイ・慣用音エイ

 大字典ではこの字の推定中世音を [iuəŋ] としているのですが、中世にこのような音になるのは普通、中古において「影母+i介音の合」「于母+ɪ介音の合」「喩母+i介音の合」であった字どもです。そしてこのような字の中には、「熒」と冠を同じくする上に声調も同じ平声であった「營(呉音ヤウ/漢音エイ・推定中古音 [yiuɛŋ])」が含まれます。

 以上から、この「熒」はまず大陸側で「營」と同音になり、その余波で日本側の漢音にも「営」の漢音「エイ」が紛れ込んだという可能性が考えられます。
 この推測に基づくなら、「熒」の慣用音「エイ」は漢音(あるいは新漢音)系で、「営」のそれに倣って「エイ /jei/」と表記されるべきものということになります。

注釈

参考文献

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