明治36年秋から翌37年春(1903~1904年)にかけて、当時の文部省内に設置された国語調査委員会というところが、日本各地の言語事情について大々的な調査を行いました。その結果について纏めたものが明治39年刊行の『口語法調査報告書』という資料です。
この文献は国立国会図書館の「近代デジタルライブラリー」にて閲覧することも可能です。
本頁ではこの資料を用いて、明治時代後期における京都の言語事情について見てゆきたいと思います。
調査が行われたのは明治36年(1903年)のことですので、この文献に示されている地名およびその地名が指し示す範囲も、その当時におけるものです。
京都府内における当時の地名と2012年現在の地名との対応は次の図の通りです。
京都市近郊図(右図)は黒い線が現在の区域で、色分けされているところが当時の市域・郡域です。
『口語法調査報告書』の第37条では、次のような調査を行っています(要約)。
現在 | 過去 | 未来 | |
---|---|---|---|
である | であった | であらう | であったろう |
だ | だった | だらう | だったらう |
ぢゃ | ぢゃった | ぢゃらう | ぢゃったらう |
や | やった | やらう | やったらう |
です | でした | でせう | でしたらう |
どす | |||
だす | だした |
この質問に対して、当時の京都市はこう回答しています。
「である」トイフ詞ニハ「花ヤ」「綺麗ヤ」「賑ヤカヤ」ナド「ヤ」トイフ又「花ドス」「綺麗ドス」「賑ヤカドス」ハ從來一般ニ用ヰラレタル語ナリト雖近來漸次減少シテ「花デス」「綺麗デス」「賑ヤカデス」ノ方ニ移リ行ク傾アリ右二類ノ語ノ活用ニシテ此地ニ行ハルモノゝミチ擧グレバ左ノ如シ
現在 過去 未来 ヤ ヤッタ ヤロオ ヤッタヤロオ デス デシタ デショオ デシタヤロオ ドス ドシタ ドスヤロオ ドシタヤロオ
これによれば明治36年頃の京都市は、「『どす』はこれまでは広く使われてきたけれど、最近は『です』に移行しつつある」という状況にあったようです。
活用の仕方は、「や」「どす」については今日のそれとまったく同じです。
一方「です」のほうは、推量形として「でしょう」だけが書かれていて、「ですやろう」は書かれていません。単に回答用紙に記入し忘れただけの可能性もありますが、あるいは当時はまだ共通語の「です」が京都に入ってきて間もなかったため、「ですやろう」という言い方が今日ほど確立されていず、ほとんど使われていなかったのかもしれません。
『口語法調査報告書』の第37条に対して、京都市以外で「どす」を使用すると回答しているのは次の地域です。
山城では概ね「どす」が使われていたこと、また周辺部では「ぢゃ→や」への変化が完了しきっていず、「や」と「ぢゃ」とを併用していた地域が多かったことが窺えます。
京都に近かった滋賀県下の各郡のみならず、福井県の嶺南地方にまで「どす」の勢力が及んでいたのは、「鯖街道」の影響によるものと考えられます。
京都府内の郡で、「どす」以外の助動詞のみを使用すると回答しているのは次の3郡です。
「どす」の広がり方を地図で見ますと、乙訓郡の隣、大阪府三島郡の東部(現在の島本町・高槻市あたり)も「どす」の分布圏内であった可能性があります。しかし残念なことに、当時の三島郡はこの質問に対して回答していないため、実際のところは不明です。
京都市においては、「どす」の活用の仕方が明治36年当時も今日も同じであることは先述の通りです。
ところが『口語法調査報告書』によりますと、周辺地域の中には「どす」の推量形として「どしょう」なる形を使用すると回答している地域があります。
前掲の通り、明治36年の京都市の報告には「どしょう」という形はなく、また今日の京都でも「どしょう」なる言い方が聞かれることはまずありません。「どす+やろう」と2語で言うのが普通です(そこから縮約して「どっしゃろ」となることも)。ではこの「どしょう」なる形は一体どこから来たのでしょうか。
考えられる可能性は次の2通りです。
私個人の直感としては最初、後者の混交説のほうに分がありそうな気がしていました。しかしよくよく報告書を読み返してみますと、上記7郡のうち2郡(京都府乙訓郡・滋賀県滋賀郡)は「ぢゃ・や・どす」を使うとは回答しているものの、「です」を使うとは回答していません。「です」を使わない地域で、「でしょう」の影響を受けた形が作られるというのも矛盾した話ですので、実は古形説のほうが正しいのかもしれません。
滋賀県野洲郡以外の6郡は「どしょう」という形のみを挙げて、「どすやろう」を使うとは回答していないことも「どしょう古形説」を支持する要素になるかもしれません。
京ことばでは形容詞を丁寧に言う場合、形容詞の連用形に助動詞「おす」をつけて、「よろしおす(←よろしゅおす←よろしゅう+おす)」のように言い表します。
この助動詞「おす」は、「ございます」に相当する助動詞です。ゆえに「そうでございます」の意味で「そうでおす」と言うこともでき、これが縮約して「そうどす」という形ができたものと考えられます。
今日の京都で「そうどす」の意味で「そうでおす」という言い方をすることはまずありませんが、『口語法調査報告書』によれば、明治36年頃の京都市周辺部ではこういう言い方がまだ使われていたようです。
前記の通り、第37条は「です・どす・だす」の3択で質問しています。そのため実際には「でおす」を使っていた地域は他にもあったのに、選択肢に上っていなかったので回答しなかったということも、あるいはあったのかもしれません。