1-9. 丁寧語~動詞には「ます」 形容詞には「おす」 名詞には「どす/です」~

目次


1-9-1 丁寧語の助動詞

 日本でもっとも華やかな丁寧語ともいわれる「どすおす」言葉を中心に、京ことばの丁寧語表現を紹介してまいります。

1-9-1-1 動詞には「ます」

 大まかなところは現代共通語の「ます」と同じです。ただし活用の仕方に違いがあります。
「ます」の否定形である「ません」の「ん」は、「書かん」「読まん」などの「ん」とまったく同じものです。そのため京都言葉では一般動詞と同じようにこの「ません」を活用させることができます。

表1 「ます」の活用例
例語「ある」「する」
終止・連体ありますします
過去ありましたしました
連用ありましてしまして
意向・推量ありましょうしましょう
否定ありませんしません
否定過去 ありませなんだ しませなんだ
否定連用 ありませず
ありませいで/‐んで
ありませんと
しませず
しませいで/‐んで
しませんと

 否定形には通常の「読みません」のような形と並行して、「読ましません(訛って『読ましまへん』とも)」という言い方もあります。前者は「読まん」の丁寧形であるのに対して、後者は「読まへん」の丁寧形です。

表2 「~ん」と「~へん」の丁寧形
「ん」「へん」
常体読まん読まへん
(読みはせんの転)
丁寧形読みません読ましません
(読みはしませんの転)

「ます」やこの後ご紹介する「おす・どす/です」は、あくまで丁寧な言い方にするだけで、敬意は含まれていないことにご注意ください。目上の人に対しては、別の章で取り上げる敬意の助動詞を併せて使う必要があります。

1-9-1-2 形容詞には「おす」か「ございます」

「おす」と「ございます」はともに形容詞の連用形(必ずウ音便形)につけて、形容詞を丁寧な言い方にします。

「おす」の例
  • 寒うおす(実際はウ音便の部分が短縮して「サムオス」と発音されることが多い)
  • よろしゅうおす(実際は訛って「ヨロシオス」と発音されることが多い)
「ございます」の例
  • 寒うございます(実際はウ音便の部分が短縮して「サムゴザイマス」と発音されることも多い)
  • よろしゅうございます(実際は訛って「ヨロシゴザイマス」と発音されることも多い)

 意味・用法はまったく同じですが、「おす」より「ございます」のほうが丁寧です。共通語ではよほど改まった場でもない限り、あまり「ございます」という言葉を使わぬようですが、京都では割とよく使われます。

「おす」「ございます」のどちらが続く場合も、先行する形容詞の語尾は短縮されたり訛ったりする傾向にあります。この「形容詞のウ音便の形が訛る現象」については、1-3「形容詞」の章にて解説しています。
 

「ございます」は、「ござい」+丁寧の助動詞「ます」が組み合わさったものですので、活用の仕方も前述した「ます」のそれと同じです。
 一方「おす」は次のように活用します。基本的にはサ行変格活用なのですが、未然形「おせ‐」は訛って「おへ‐」になることが多いのが特徴です。

表3 「おす」の活用(サ変)
語形アクセント
終止・連体 おす ●●
過去 おした ●○○
連用 おして ●○○
推量 おすやろ *1 ●●●○
否定 おへん *2 ●●●
否定過去 おへなんだ *3 ●●○○○
否定連用 おへんと *4
おへいで/‐んで *4
●●○○

1-9-1-3 名詞には「どす」

 共通語の「です」にあたる言葉で、意味も使いどころもほぼ共通語の「です」と同じです。ただ唯一、「『どす』は形容詞には付かない」という用法の違いがあります。
 共通語では「青いです」「高いです」という言い方がされますが、京ことばでは「青いどす」「高いどす」とは言いません。かわりに形容詞のウ音便形+前述の「おす」「ございます」を用いて、「青うおす」「高うございます」のように言います(実際の発音は訛って「アオオス」「タコゴザイマス」のようになることが多い。前節参照)。

 この「どす」は、助詞「で」+前述の「おす」からなる「~でおす」が約まったもので、次のように活用します。

表4 「どす」の活用
語形アクセント
終止・連体 どす ●●
過去 どした ●○○
連用 どして ●○○
推量 どすやろ * ●●●○

 舞妓さんの印象が強いためか「どす」は女言葉という誤解が一部にはあるようですが、元々京都では性別に関係なく広く使われていた言葉です。事実、年配層の会話資料には男性の使用例も記録されています。
 ただ公家や武家などが住んでいた地域では、「どす」は町方の言葉であるとして使われず、かわりに「でござります(ござます、ではない)」や「であらしゃる(アラセラレルの転)」のような表現が使われていたとの調査報告(尼門跡関連)があります。

 なお「どす」には推量形として「どしょう」という形がかつてはあったかもしれません。これについては研究室の「1903年の京都語1~助動詞『どす』」にて取り上げています。

1-9-1-3-1 「です」

 先述の「どす」のかわりに共通語の「です」も使われます。近代以降の国語政策の影響で、京都では明治の後半頃より本格的に広まりはじめたようです(参考リンク)。そのため京の伝統方言とは言い難いのですが、年配層の間でも浸透していて、時には同じ話者が一連の会話の中で「どす」「です」を併用しているケースもあります。「‐ございま」の略とされること、また「どす」と1文字違いなことが、受け入れられやすさの下地になったのかもしれません。

 活用は次の通りです。

表5 「です」の活用
語形アクセント
終止・連体 です ●●
過去 でした ●○○
連用 でして ●○○
推量 ですやろ *
でしょう
●●●○
●●●

 ご覧の通り、基本的には「どす」の「ど」を「で」に置き換えただけです。共通語と比較してみても、推量形に「ですやろ・でっしゃろ」があることを除けば大差ありません。

 なお「でしょう」は表5に示したもの以外のアクセントで発音されることもあります。この理由については、アクセントの部でご紹介します。

1-9-1-3-2 「のす」

 助詞「の」+助動詞「どす」からなる「のどす」には、「のす」という短縮形もあります。これは共通語の「~のです」に相当する表現です。

1-9-1-4 丁寧の助動詞ランク表

 これまでに出てきた助動詞を丁寧さの度合いによって分別し、表にまとめてみました。

表6 助動詞の丁寧度
例語(常体) 動詞「ある」 形容詞「白い」 名詞「ここ」
敬体(高) ございます 白うございます ここでございます
敬体(普通) あります 白うおす ここどす
ここです

1-9-2 その他、京都によく見られる言葉の丁寧化傾向

(1) 「ものにも“さん付け”する」

 他府県の方の目には奇妙に映るかもしれませんが、京都ではものに対しても「さん付け」をします。
 この「さん付け」の対象となるのは主に「飴さん、あげさん(油揚げ)、ふーさん(麩)」など食べ物や、「八坂さん(八坂神社)」や「お稲荷さん(稲荷大社)」など寺社仏閣に関するものが多いようです。中には「うんこさん」などという変わり種もあります。
 この「さん付け」に類似する丁寧表現としては、「おこた、おだい(大根)、お寺」のような、語頭に「お」をつける言い方や、その「お」と「さん付け」を併用した「おかい(粥)さん、おまめさん」という言い方があります。
 ただし「お」にしても「さん」にしても、どの言葉にでもつくのではなくて、それぞれつく言葉とつかない言葉が暗黙の了解のうちに決まっています。

(2) 「ぞんざいな言葉を置き換える」

 たとえば「食う」を避けて「食べる」と言う、「やる」を避けて「する」と言う、「うまい」を避けて「おいしい」と言う、「(味が)まずい」を避けて「あじない」と言う、などがその典型です。

(3) 「婉曲表現を使う」

 他人にものを頼むときや、逆に他人からの申し出を断る時、京都では婉曲な表現を用いて、こちらの言わんとしていることを相手に察してもらうようにします。
 たとえば「手伝いましょか?」と申し出られたものの断りたい場合、ハッキリ「結構です」とは言わず、「へえ、おおきに。けどまあ一人でも何とかなりますさかい」とまで言ったところで文を止めます。この後に「お断りしときますわ」という言葉が続くことは、言った方も言われた方も京都人同士ならわかるわけです。

 また京阪地方で頼まれごとを断る際の常套句として「考えときます」という言い方がありますが、これも婉曲表現の一種と見なせます。

(4) 「不満や苦情を伝えたい時には褒める」

 これはどういうことかといいますと、相手に対してこちらが不満に感じている点を「褒める」ことで俎上に載せて、相手に「自分はこの点についてあなたに察してもらいたいことがある」ということを伝えるという方法です。たとえば立ち話の途中で急に相手が「おたくのお子さん、いつも元気どすなあ」と言ってきたら、それは暗に「お子さんの騒音で迷惑している」という苦情を伝えてきている、というような具合です。
 大変回りくどいのですが、角が立たぬようクレームを伝える手段としてよく使われます。相手を面と向かって罵ったり、不快感を直接的な言葉で表したりするようなやり方は京では好まれません。角が立つと回り回って自分が後からあれこれ言われることになりかねないためです。

 顔見知り程度の相手から急に何か褒められたら要注意です。その「何か」について苦情を伝えられている可能性を疑ってみましょう。

 京都の婉曲表現には事情を知らぬ人が聞くと「それで結論は何なの?」と思えるものが多く、他の地方の人にはじれったく感じられるかもしれません。しかしこの手の婉曲表現は、直接的な物言いによって角が立ったり相手の気分を害したりすることをできるだけ避けたいという、京都人なりの知恵と気遣いのあらわれでもあるのです。


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