京都独特の敬語のうち、もっともよく使われるのが助動詞「はる」です。まずはこの「はる」から解説いたしましょう。
これは「読みなさる→読みなはる→読みやはる→読みゃはる→読まはる」という変化を経て、成立したと考えられます。
活用は「はる・はった・はって・はります・はらへん」で5段活用ですが、命令形はありません。否定形は「はらん」より「はらへん」と言うことのほうが多いようです。
京都言葉の敬語表現の中でも、この「はる」はもっとも軽いもので、時には「お父さん会社行かはった」「お姉ちゃん、外で遊んではる」などと、身内の言動を言い表す時にも使われます。
この表現は第三者に対して話す時のみならず、身内相手に話している時でも「(母に対して)おじいちゃんが呼んではるえ」「(兄弟姉妹に対して)おばあちゃんがこれくれはった」のように使われます。
「はる」の動詞への付き方は下表の通りです。
動詞の種類 | 接続の仕方 | 接続例 |
---|---|---|
5段動詞 | 未然形に直接付く | 言わはる(言う)、書かはる(書く) |
1段動詞(3拍以上) | 連用形に直接付く | 起きはる(起きる)、食べはる(食べる) |
1段動詞(2拍) | 連用形に直接または 連用形に「や*1」を介して付く | 見やはる(見る)、いやはる(いる) |
カ変 | きやはる(来る) | |
サ変 | しやはる(する) |
成立の過程が似ているだけあって、動詞への接続の仕方も否定の「へん」と似ています(参照⇒動詞の章・「ん」と「へん」の接続の仕方)。
なお上表には入れてありませんが、「して」「言うて」「見て」など動詞の「~て」の形に直接「はる」が付いたように見える「してはる」「言うてはる」「見てはる」のような言い方もあります。
これは「している」「言うている」などを、「い」を落として「してる」「言うてる」などと言うこともあるのと同じ理屈によるもので、「していやはる→(イの省略)→してやはる→してはる」という変遷を経た結果、「~て」に直接「はる」が付いているように見えるようになったものです(参照⇒動詞の章・「~している」の否定形)。
この「してはる」「言うてはる」「見てはる」などは、「したはる」「言うたはる」「見たはる」のように言うこともあります。これは「言わはる」「書かはる」「しやはる」など、「はる」の前には「あの段」の音が来ることが多いため、おそらくそれに倣ったもの(類推変化)であろうと思われます。
先ほどの「はる」の親戚とも言えるのがこの「お読みなさる・お読みなはる(どちらも○○○●○○)」という敬語表現です。歴史は古く、江戸中期の文献には既に登場しています。
活用は「はる」と同じく5段ですが、こちらは命令形として「なさい/なはい(縮約されて『ない』とも)」があります。大阪のように「なされ/なはれ」とは言いません。
共通語では、「見る」「出る」「いる」のように連用形が1拍しかない動詞には、この「お~なさる」「お~なさい」の使用を避ける傾向がありますが、京ことばでは連用形が1拍しかない動詞にも使われます。
元となる動詞 | 京ことば (そのまま使う) |
共通語 (他の語に置き換える) |
---|---|---|
「見る」 | お見なはる・お見なはい(縮約形・おみない) | ご覧なさる・ご覧なさい |
「いる」 | おいなはる・おいなはい(縮約形・おいない) |
いらっしゃる/おいでになる・ いらっしゃい/おいでなさい |
京都言葉には、語頭の「お」を省いた「しなさい・しなはい(どちらも●●○○)」「しなさんな・しなはんな(どちらも●●○○○)」のような表現もあり、それぞれ丁寧な命令(希求)と、丁寧な禁止を表すのに使われます。
京ことばでもっとも敬意の高い敬語表現がこれです。「お見やす(ご覧になる):○○●○」「おしやす(なさる):○○●○」「お書きやす(お書きになる):○○○●○」という風に、間に動詞の連用形を挟んで用います。
使いどころとしては、お店の人が出迎えの際言う「おいでやす」「おこしやす」のような「丁寧な希求」の他に、「お食べやすか?」のような質問にも使います。
活用は次の通りです。
例語 | 現在形 | 過去形 | 命令(希求)形 | 否定形 | 否定連用形 |
---|---|---|---|---|---|
「する」 | おしやす ○○●○ | おしやした ○○●○○ | おしやす ○○●○ | おしやさへん ○○●○○○ | おしやさんと ○○●○○○ |
「食べる」 | お食べやす ○○○●○ | お食べやした ○○○●○○ | お食べやす ○○○●○ | お食べやさへん ○○○●○○○ | お食べやさんと ○○○●○○○ |
このように不完全な5段活用をします。ただし否定形が使われることはあまりありません。
アクセントは表の通り、「低く始まって『や』のところだけ高く発音する」のが原則です。
「お書きになりますか?」→「お書きやすか?」
「お食べになりましたか?」→「お食べやしたか?」
「来てください」→「来ておくれやす(来とくれやす)」
「こっちを見なさい」→「こっちをお見やす」
「これを見てください」→「これを見ておくれやす(見とくれやす)」
3番目や最後の例のように、動詞の「~して」という形の後にこの「お~やす」が付くと、しばしば「~して」の「て」と「お」が融合して「と」に変化します。これは「しておく」が「しとおく→しとく」のように変化するのと同じ現象です。
特に「~しておいやす→しとおいやす→しといやす(していらっしゃる・していらっしゃい)」「~しておくれやす→しとおくれやす→しとくれやす(してくださる・してください)」あたりはよく使う表現だけに、高頻度で融合が起こります。
「お~やす」の語源については、「お~遊ばす」という形が「お食べあそばす [asobasu]」→「お食べやそばす [jasobasu]」→(後部省略)→「お食べやす [jasu]」というふうに訛って生まれたという可能性が金田一春彦氏により指摘されています。
前記「お~やす」の派生形として「お~やっしゃ」という言い方もあります。「やっしゃ」とはおそらく助動詞「やす」の連用形「やし」に助詞「や」の付いた「やしや」が転じたものでしょう。
「お食べやっしゃ(お食べなさいませ、お食べ遊ばせ)」のようにも使われますが、「ちょっとそこ通しとおくれやっしゃ[通して+おくれやっしゃ]」のように、「~しておくれやっしゃ」という形で使われることが多いようです。
先に登場した「お~やす」の「やす」と同じもので、「言うてやす:●●●○○」のように動詞のテ形に付けて使います。意味は「~しておいやす」とほぼ同じで、「~していらっしゃる」「~していなさる」という具合に対象の動作に敬意を添えます。ただ「~しておいやす」に比べると衰退が早かったため、今日では録音資料の中ぐらいでしか聞くことはできません。
さらに上の世代には、動詞の連用形に直接ヤスを付けた「言いやす:●●○○」のような形もあったようですが、こちらは明治後期生まれの方たちの間でさえ使用は稀になっていたようです(参考・「京都方言の形態・文法・音韻(1)―会話録音を資料として(1)―」『方言・音声研究』第1号)。
動詞に付けて、蔑みや卑しめの気持ちを表す補助動詞として「~よる(おる)」「~けつかる」などの言い方があります。
「~よる」は5段動詞「おる/●○」が変化したもので、他の動詞の連用形に直接付けて「しよる/●○○」「言いよる/●●○○」「読みよる/○●○○」というふうに使います。「しおる」「言いおる」「読みおる」のような言い方もできなくはありませんが、今日では「~よる」のほうが自然に聞こえます。
この「~よる」は動詞本来の意味を失って完全に補助動詞化しているため、「いよる」というふうに動詞「いる(居る)」に付くこともできます。また「~していよる」の短縮形(イの落ちた形)として「~してよる」が使われることもあります。
なお他の西日本方言では「しよる」「降りよる」などが進行形を表すこともありますが、京都言葉ではそのような意味で使われることはありません。
この「~よる」よりさらに強く対象を侮蔑し、品格も著しく落ちるのが「~けつかる/●○○○」という言い方です。この「~けつかる」は動詞連用形には直接付かず、「して‐けつかる/●●‐●○○○」「言うて‐けつかる/●●●‐●○○○」という具合に、助詞「て」を介して動詞に付きます。
この他に、共通語にもある「~やがる」「~くさる」などの言い方が使われることもあります。これらの侮蔑度合いはおおむね「~よる」と「~けつかる」との中間に位置します。
先に出てきた補助動詞「よる」の原形「おる」は、「何々しておる(縮約して『何々しとる』)」という具合に、助詞「て」を介して動詞に付くことも出来ます。しかしこのような場合でも、たいていそこには蔑みの気持ちが含まれています。
たとえば「何してるの?(←何しているの?)」だと単なる質問ですが、「何しとるの?(←何しておるの?)」だと、半ば呆れたような、時には怒ったようなニュアンスすら伴っていることがあります。
このように「おる」には常に侮蔑的な響きがあるため、敬意を表す助動詞が付くことはありません。敬意を表す助動詞は常に「いる」のほうに付き、「いやはる」「いはる」「おいやす」などと言い表されます。「おらはる」「おおりやす」とは決して言いません。
なお京都の旧市街地では「おる」を本動詞として使うことはほとんどなく、その使用頻度の低さから「おる」本来の音調が忘れられかけていて、伝統型の●○のほか、基本型の●●も併用されています(中井2002など)。
一方京都市内でも、旧市街地から距離のある地域では「何々がおる」のように本動詞として使うこともあるようです(旧市街地およびその近隣では「何々がいる」)。このような地域では「おる」に侮蔑的なニュアンスがないらしく、敬意を表す助動詞が付く例も見られます。
一般に「いる」は東日本でよく使われ、「おる」は西日本でよく使われる傾向にありますが、京都は「いる」のほうが普通です。これは近年の共通語の影響とはまったく関係がなく、京都では江戸時代には既に「いる」のほうが一般化していたのです。
例えば近世後期に京都で刊行された洒落本を見ましても、台詞部分にはもっぱら「ゐる(いる)」のみが使われていて、「おる」の使用例は皆無と言って良い状態です。
現代でも、旧市街地の老年層の会話資料から「おる・おった・おら(へ)ん」はほとんど聞かれません(謙譲語的な「おります」なら話者によっては使われなくもないという状態)。
この傾向は、元禄期に活躍した近松門左衛門(京で育ち大坂で活躍)の書き残したものにも見出せます。例えば有名な『曾根崎心中』の台詞部分においても、本動詞としての「おる(をる)」は用例がありません。補助動詞としての「おる・よる」も「徳兵衛めが失せおって」というのが一例あるぐらいで、他はすべて「ゐる」が使われています。
そしてこの「失せおって」という例にしましても、先行する主語に「~め」と罵りを意味する接尾語が付いていることから、当時既に「おる」には「対象を見下す」という、今日同様のニュアンスが備わっていたらしいことがうかがえます。
従いまして「ニュートラルなイル」対「卑語的なオル」という対立構造は、遅くとも近世中期までには京(そして恐らく当時の大坂の市街地でも)においては出来上がっていたと言えそうです。
京都は西日本であるから「おる」こそが本来の言い方であると誤解し、やたらと「おる」を使う――そのような「過剰矯正 (hypercorrection)」に陥らぬようご注意ください。