京都ではあまり聞かれぬ言葉・本来使われていなかった言葉をまとめてみました。これらの言葉は京都で使っても相手に通じず「?」という顔をされたり、誤解を与えたりする可能性があります。
「いる (be, esse)」を二重にした「いている」の短縮形。「いてた・いてへん・いてはる・いてはらへん」などもこの仲間です。もとは大阪の方言です。京では二重にせず単に「いる」で、活用させたものも「いた・いいひん・い(や)はる・い(や)はらへん」と言います。
ちなみに京ことばでは「行って(いって)」を「行て(いて)」と縮めて言うことがあるため、「行っている」「行ってる」の縮約形としての「行てる」という言い方でしたら昔からあります。特に年配の方が「いてる」と仰っていたらほぼ間違いなくこちら(行てる)の意味です。
(※参照⇒語彙「いて【行て】」)
汚らしいので伏せ字にしましたが、既に全国的に広まってしまっているようですので、何のことかお分かりいただけるでしょう。1990年代以降、漫画やテレビなどを通して全国へまき散らされた卑語・俗語の類です。
京では「鬱陶しい(うっとしい)」「不快な」「不愉快な」などが元々使われていた言い方で、文脈によって「うるさい」「煩わしい」「疎ましい」「クサクサする」などとも。
幾分主観が混じりますが、この形容詞は音の響きからして刺々しく粗暴で、他人が口にしているのを耳にするとこちらまで不快な気分にさせられるような、いわば不快な気持ちを伝染させるようなところがあります。「き×い」もそうですが、この手の下劣な言葉が無批判のうちに広まってしまう世相が残念でなりません。
「恵方巻き」なる言葉がぽつぽつ聞かれるようになったのは、1990年代半ばに某寿司チェーン店がCMをやり始めてからのことです。それ以前の京都では「節分の日に巻き寿司にかぶりつく」などという奇行は見かけませんでした。
決して「昔からの伝統行事」などではありませんので、巻き寿司は食べるなら普通に切って食べましょう。
「偉い」ではなく「大変な、きつい」という意味の「えらい」は、京都市の旧市街地ではまず使われません。中井(2002)には「(周辺部の話者)以外全般に田舎の言葉的または男性語的で、あまり使わないと言う人が多い」と記録されています。
大阪の方言。「おかあさん→おかあはん→おかん」と変化した語。本来はかなり粗野な言葉で、牧村史陽氏は『大阪ことば事典』の中で「卑俗語」と述べています。
なお近年、この「おかん」の対義語として父親のことを「おとん」と呼ぶ言い方もあるようですが、こちらは90年代を折り返した頃になってテレビから聞こえてくるようになった新語です。
東京方言。江戸語由来か。京都では単に「おちる・おとす」
東日本的な言い方。京都では「おとつい」が普通。
たいていの国語辞典では東北の言葉と説明しています。なぜかこれを京ことばだとお思いの方がかなりいらっしゃるようなのですが違います。京都では使いません。
京都では「おみそ汁」が普通。
「おる」が西日本的であることから、しばしばこの「おられる」までもが関西発であるかのように言われますが、次のような理由から京都市生まれではないと思われます。
おそらく「おる」を卑俗語的に使わず、なおかつ「れる・られる」敬語が盛んな地域で、近代以降に作られた言葉でしょう。
京ことばでは敬意の高い順に、「おいやす」「いやはる・いはる」等。
「駈ける」という動詞自体を使いませんので、その派生語である「かけっこ」もまず使われません。徒競走は「はしり【走り】」と言います。
意味は分かりますが「走る」のほうが普通です。
東京でよく聞く言葉で「片づける」という意味。おそらく省略語なのでしょうが、原形が想像しづらく京ではまず通じないでしょう。
これが関西風の言い方とする誤解が一部にあるようです。東京で「いい(良い)」と言うところを近畿で「ええ」と言うことから、「かわいい」も「かわええ」になるのではないかという誤った類推によって作られた言葉で、2000年頃からぽつぽつ広まり始めたようです。
「良い」という形容詞は「よい」→「ええ(京阪はここでストップ)」→「いい(東京)」という変遷を経たのに対して、「可愛い」は「かわゆい」→「かわいい」と転じたものですので、同じ「いい」で終わっていても両者の間にはまったく関連性はありません。
阪神方面にはこの「きれい」という言葉を、「きれい‐きれくない‐きれかった」と形容詞ふうに活用させて言う方がちょくちょくいらっしゃるようです。
京都では「きれいな-きれいに」と形容動詞型に活用させるのが普通。
「そうだっけ?」「何だっけ?」と言う時の「っけ」で、元々は静岡以東で用いられていた言葉です。
古文の助動詞「~たりけり」に由来すると言われています。
「あのさ」「それでさ」などの「さ」です。元々京都にはなかった語で、年配層の会話資料にはまったく現れません。
最近はアナウンサーでも使う人が増えたせいか、これを共通語だとお思いの方も多いようですが、元は東京の山の手方言です。「~してしまう→~しちまう→~しちゃう」と発音が崩れたものです。
京では「~してしまう・~してまう」「~してしもた・~してもうた」などが普通です。
「何々している」の意味で「何々しとう(シトルの転)」のように言うのは神戸市及びその西、播州の方がよく使う言い方です。京都市のみならず、大阪市でもまず言わないのではないかと思われます。
京都では「何々してる」が普通。
ちなみに「何々したくて」の意味で「何々しとうて」のように言うのは京都の伝統方言です。
しばしば阪神方面の人から聞かれる言い方で、「何々しておいてくれ・何々していてくれ」というようなニュアンスのようです。
京都では「何々しとおいて・何々しててくれ・何々して」が普通。
相手のことを指す二人称として「自分」を使うのは大阪弁的、あるいは新方言的用法です。
元は静岡~神奈川にかけての方言といわれた言葉です。今では活字や放送に乗ることも少なくなくなりましたが、それでも同じ意味の「~やん」に比べて音の響きが強く、耳につくので、京都での使用は避けたほうが無難です。
「菊菜(きくな)」のほうが普通。
これも有名な東日本語です。京都では単に「からい」か「しょっからい(塩辛い)」が普通。『日本言語地図』 第1集の第39図を参照。
「糸蒟蒻(いとごんにゃく・いとこんにゃく)」のほうが普通。
大阪の言葉です。京都では「そや」が普通(参照⇒「京都言葉と大阪言葉の違い」)。
年配層の会話資料によれば京北など旧郡部の話者は使うこともあったようですが、旧市街地の話者からはまず聞かれません。
「せや」「せやねん」などはいわゆる「コテコテの大阪弁」に分類されるような言い方で、2000年頃までは大阪の人からもあまり聞くことがありませんでした。一例を挙げますと、1990年代中頃に発売された「DA.YO.NE」(だよね)という曲の大阪弁バージョンは「SO.YA.NA」(そやな)であり、「せやな」ではありませんでした。
大阪の地方局が番組タイトルで使い始めたのがきっかけで、「せや」に馴染みのない世代がこの言い方を本来の大阪弁だと誤解して広まったという流れなのかもしれません。
一方で2010年代に入った辺りから、創作物の中で京都出身とされる人物が「せや」を使う例がにわかに増えてきたという印象があります。なぜこれが京都の言い方と思われるのか、そのあたりの理由は不明ですが、いずれにしましてもとても不自然な感じがします。
京にはこれに相当する食材がないため通じません。
東京でたまに「出しっぱなし」「つけっぱなし」のことを「出しっぱ」「つけっぱ」のように言う方がいますが、京都ではまず通じません。
京では「のく」と言うほうが普通です。
東日本語。京都では「なぬか」
それぞれ「暖かい・温まる・暖める」の意味。京都市の旧市街地では卑語です。
どちらも関東方言。京都ではそれぞれ「乗る」「乗せる」
「のや」の転。大阪の言葉です。京都では「にゃ」(参照⇒「京都言葉と大阪言葉の違い」)。
「野原」のこと。東京近郊で使われるようですが、はじめて聞いたときは何のことかと思いました。
準体言「の」の訛り。「これ、あんたのん?」のように用いられます。大阪の方からよく聞く言い方。
東京で仲間はずれにすること。後述の「みそ」もそうですが、1対1で対応する言い方が京都にはありません。
意味は分かりますが、「べべ」「べべた」「べったこ」などと言うほうが普通です。
日本には「ふざけるな」の意味で「ふざけろ(ふざけい・ふざけよ)」という言い回しを使う地域と使わない地域とがあるようですが、京都は「使わない地域」です。
京では四季を通じて「お萩」と言うことが普通のようです。そのため「ぼた餅」という言葉は聞いたことがあっても、それがお萩と同じものを指すということに気づいていない京都人は結構いそうです。
京都では「しめのうち」と言う。1月15日まで。
東京では、仲間内で足を引っ張るような子のことを「みそ・みそっかす・おみそ」などのように言うようですが、京都では聞かれません。いきなり会話の中で使ってもまず通じぬでしょう。
京都にはこれに該当する言い方がなく、単に「足手まとい・仲間はずれ」のように言うより他にはありません。
関東方言。京都では「嫉妬する・ねたむ」が普通。
国語辞典にはたいていこの言葉は関東方言であるという断り書きが付いているのですが、困ったことに全国向けの記事でも平気でこの言葉を使う新聞・テレビは少なくありません。
※近年は東京言葉の侵食が激しいため、ここに掲載されている語でも下の世代では通じたり使用されていたりする可能性もあります。