用語解説

 このページでは当サイトで使われている用語についてご紹介します。


京ことば・京都語(京都言葉)・京都弁・上方語・関西弁

「京ことば」

「そうどすえ」「よろしおす」などの言い回しに代表される言葉で、他府県の方が「京都の言葉」と聞いて真っ先にイメージなさるものがこれです。元は京都の町方(旧市街地・参考リンク)で広く使われていた言葉ですが、共通語化の波に押され、今や生粋の京ことばの使い手は旧市街の旧家や、一部の寺社に残る程度のようです。

 当サイトでは特に、「京都語(後述)から新方言や共通語の影響による言い方を取り除いた伝統方言」を「京ことば」と呼んでいます。

「京都語(京都言葉)」

 方言を題材とした論文や書物の中では、「京都語」「東京語」のような「~語」という表現がよく用いられます。「京都で話されている言語」を指すもっともニュートラルな呼び方です。
 とはいえ、事情をご存じない方には「~語」という表現は少し大仰に感じられるかもしれませんので、当サイトでは「京都語」と同じ意味で「京都言葉」という呼び方も併用しています。

 1. ウ音便の使用、2. 京阪式アクセントの使用、3. 否定の助動詞に「ない‐なかった」系を使わず「ぬ・ん・へん‐なんだ」系を使用、4. 断定辞に「だ」系を使わず「や・じゃ」系を使用、などが要件として挙げられます。

「京都弁」

 人や状況によって、「京ことば」の意味で使われることもあれば、もっと広く「京都語」の意味で使われることもあるようです。時には文章がどうあれ、京都風のアクセントで発音されていれば京都弁扱いされているようなケースも。

 この呼び方は当サイトでは使用していません。

「上方語」「京阪語」

 京都・大阪間に共通する言い回しや言葉などの総称です。両都市のうち、特に明治以前から市街地化していた地域の言葉を指すことが多いようです。

「関西弁」

 世間一般のとらえ方としては、その名の通り「関西地方で話されている言葉」ということになるのでしょうが、実のところ関西地方には京阪式アクセントが使われている地域と東京式アクセントが使われている地域とが混在していたり、「そうや」ではなく「そうだ」と言う地域もあったりするなど、その言語事情は意外と込み入っています。

 範囲をもう少し狭めて近畿中央部(京阪神および奈良)に絞ってみても、「来(き)いひん」対「来(け)えへん」対「来(こ)おへん」の対立に代表されるような違いがあって、均一な状態にはありません。主観の話になりますが京都育ちの私にとって、特に神戸方面の方の言葉は別系統の方言に聞こえることもあるほど遠く感じられます。

「関西弁」という呼び方は人によって微妙に違うものをイメージする恐れがあるため、当サイトではほとんど使用していません。


共通語と標準語

「標準語」

 文法的にも音韻的にも曖昧な点や揺れがほとんどなく、その国の言語の理想形・模範形と呼ぶに相応しい言葉のことを指します。簡単に言えば、「個人差や地域差や年代差がなく、かつ誰が聞いても不快感を感じることのない言葉」が標準語です。

 日本では漠然と「標準語イコール首都の言葉」というイメージがあるようですが、世界的に見ると必ずしもそうとは限りません。例えばイタリアの場合、首都ローマの言葉ではなくトスカーナ方言が標準語のベースになっています。またノルウェーのニューノシュク(ニューノルスク)語に至っては、ゼロから構築されたものです。
 これほど極端でなくとも、「標準語」には、ドイツ語のように人工的修正が加えられたものが少なくありません。戦前の日本においても「標準語」とは、東京山の手の言葉をベースとしながらも、「~しちゃう」のような崩れた表現は除外したものを指していました。

「共通語」

 こちらは単に、「その国で広く通じることを目的とした言葉」のことで、各方言の最大公約数的な言葉のことを指します。
 言い換えれば、「少々個人差や地域差があろうとも、ちゃんと相手に通じて、聞き手に不快感を与えない程度の品があれば良しとする」という言葉が「共通語」です。標準語との最大の違いは「規範性」が求められないこと、そして「揺れ」が許容されることです。

 今の日本語には共通語はあっても、標準語と呼べるほど規範的なものは存在しないというのが実情ではないでしょうか。明治維新以降、日本でも標準語(初期には「普通語」とも呼ばれていた)を策定しようという動きがかつてはあったようですが、太平洋戦争以後は沈静化し、今やそういう動きは皆無に等しい状態です。
 加えて最近では、東京の話し言葉がそのままメディアを通じて発信される傾向が強まり、標準語どころか共通語さえ有名無実化しつつあります。

「標準語」という言葉には、方言を無価値なものとして十把一絡げに扱い、日本語を「標準語」対「非標準であるところの方言」という対立軸で捉えていた時代の価値観が強く滲み出ているようで、私個人的にはどうも好きになれません。
 それよりもまず各地の方言ありきで、そこから最大公約数的な言葉たちが寄り集まって「共通語」なるものが生まれたという見方のほうが好感が待てるうえ、何より日本語の現状をちゃんと反映しているように思われますので、当サイトでは「共通語」という表現を使うことにしています。

参考・「共通語」と「東京語」との対比表
共通語東京語
「~してしまう→しちまう→しちゃう」
のような音の崩れ
×多用される。
連母音[ai]や[oi]が[e:]となること
「ない」が「ねえ」
「すごい」が「すげえ」
などと訛ること
×使用される。
「赤くなる」類のアクセント○●●●○
低高高高低
「白くなる」「凄くなる」
類のアクセント
●○○○○
高低低低低
●○○○○
高低低低低
○●○○○
低高低低低
の両方あり。
ただし若年層では急速に
「赤くなる/○●●●○」類との
区別が失われつつある。
「砂が」「梅雨が」
のアクセント
○●●
低高高
○●●/○●○
低高高/低高低
の両方あり。
「熊が」
のアクセント
○●○
低高低
○●○/●○○
低高低/高低低
の両方あり。

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